何故「生きて俘虜の辱めを受けず」が求められたのか?

 


「戦陣訓」記された一文。

タイトルに上げた「生きて俘虜の辱めを受けず」という訓令が、戦後教育では、帝国陸海軍の人命軽視の象徴であり、戦前の我が国がヒューマニズムに欠けたパワハラ至上の軍国主義者(*)であるかのような教育が行われてきた。勿論、出鱈目な偏向自虐史観である。

*:この「軍国主義」という言葉は安易に使われていると思う。軍国主義とはいかなる政治体制か?戦前戦中においても、戦時体制という非常時下ではあったが、我が国は大日本帝国憲法の定める立憲君主制の民主主義国家であった。挙国一致の戦時体制を「軍国主義」と呼ぶのはひどい印象操作である。この辺りの教育は、非常にお粗末極まると思う。

ところで、何故、「生きて俘虜の辱めを受けず」と訓令されたのか?その背景を探ってみよう。

「戦陣訓」は1941年1月に示達された。当時、帝国陸軍はチャイナ大陸において、国民党軍と品事変を戦っていた。しかしその実態は単純ではない。

当時のチャイナは国民党が全土を支配していたわけではない。この点、重要である。国民党が全土を支配し、治安が確立されていたところに、侵略の意図をもって帝国陸軍が進出した訳ではない。国民党は中国の正当政府を主張していたが、その支配地域は狭く、チャイナ全土に治安を確保するには程遠い状況であった。逆に、チャイナ全土が軍閥による群雄割拠の状態であり、治安は著しく乱れ、普段から軍閥による人民の搾取や暴行、虐待などは日常茶飯事の状態であり、経済発展など望むべくもない状況にあった。この点、我が国支援して治安を改善し、大いに発展した満州国とは隔絶の対象を成す。

当時のチャイナは国民党が弱体化する一方で共産党が奥地で勢力を伸ばし、その不安定な状況下で大小様々な軍閥や民兵組織、匪賊が地方を分割支配していたのが実相に近い。マンガ「北斗の拳」のような世界と言っても、過言ではないと思われる。帝国陸軍はそれら軍閥や民兵組織と対立し、時には連携して我が国の居留民を保護し、さらに占領地のチャイナ人民を保護して治安を維持すると同時に、国民党軍とされる組織と戦い、事変の目的を達成しようとしていた。

品事変は当時はまだ「戦争」ではなく、国民党軍が大挙して上海の日本人租界を軍事攻撃し、居留民を虐殺しようとした第二次上海事変に対する帝国陸軍の反撃が、延々と続いていたものと理解するのが正しい。第二次上海事変の前には通州事件など、在留邦人を対象とした酸鼻を突くという表現以外に形容しがたい残虐非道なテロ事件が頻発していた。従って、軍を用いて上海租界を攻撃し在留邦人を虐殺しようとした国民党軍を交渉のテーブルに引きずり出し、邦人へのテロ行為を止めるように誓約させることが、我が国にとっての品事変の目的となる。しかし、先に手を出してきた蒋介石は重慶の奥地に逃げ込んでしまって交渉に応じない。帝国陸軍も撤兵しようにも撤兵できなくなり、ずるずると泥沼化していった、というのが実相に近いと思われる(**)。

**:蒋介石は欧米諸国に対して「日本がチャイナを侵略し、チャイナの人々を虐待虐殺している」とする捏造プロパガンダを巧妙に行い、それにより英米を味方につけ、英米からの補給と支援を受けて長期戦体制を構築していた。このプロパガンダには共産主義者の暗躍が一枚嚙んでいる。共産主義者を側近にしたFDRの取込みの時点で、日本の影響圏を大陸から駆逐し、共産主義がチャイナを席巻するお膳立ては既に整っていたと考えるべきであり、大東亜戦争の敗因は、まさにこの点にある。しかし、我が国はいまだに、そのプロパガンダ戦ではチャイナに負けている。改善するべきである。

当時の帝国陸軍が戦った相手は、チャイナ国民党や軍閥民兵であったが、この連中が捕虜を虐待虐殺していたことは明白である。自国の国民すら、財産を奪い、虐待し、強〇し、虐殺するような連中である。捕虜になった日本兵がどのような末路を辿るのか、火を見るよりも明らかである。

チャイナのみならず、ロシアも、半島も、日本の近隣諸国の人々が弱者に対して行う残虐行為には、身の毛もよだつものがある(***)。その例示として、以下にねずさんの投稿を列挙しよう。

***:よくご存じのように、これらの残虐行為の写真を、チャイナは日本兵の残虐行為として再利用して、プロパガンダに利用している。プロパガンダ戦は何でもありである。日本政府は、これらの卑劣な捏造プロパガンダに反撃しなければならない。既に、捏造された残虐行為は、「事実」として世界中に定着しつつある。これは、チャイナにとって自らの侵略行為を正当化する理由の一つとなる。世界は言ったもん勝ち、何でもありである。「だまっていても判る人にはわかる」ではだめなこともある。我が国政府の賢明な対処、つまり捏造プロパガンダに対する強力な反撃を求める。

捕虜となったときに、自らを待つ運命は、虐待により残酷に殺害されるという悲惨極まるものである(****)。それならば最後の一人になるまで戦い、死中に活を求める方が良いと考えるのは当然ではないだろうか?

****:もちろん、全ての捕虜が虐殺されたわけではない。終戦後などは、まともに扱われた例もあるらしい。日本が戦った相手は、国民党軍という統制の取れた一体の組織ではなく、国民党軍に所属するとされる軍閥や民兵組織であり、その性向は自ずから異なる。但し、民族の性質として弱者を残酷に扱い、虐待し、あやめることも全く厭わないという点は、我が国とは大きく異なるものである。

この様な背景から、相手が日本人と同様の考えを持ち、捕虜を人間として扱うという価値観を持たず、捕虜に対する虐待や虐殺を厭わない冷酷な性質を持つ相手であることを、軍の責任者は兵士に周知する必要があったのではないか?この点が「生きて俘虜の辱めを受けず」の背景にあったと考えるのは、当時の状況を考慮すると、至極当然であろう。

昨今、近隣諸国(チャイナ、ロシア、半島)と揉め事が起きる気配が濃厚になりつつある。前線に立つ我が自衛隊の精鋭が劣勢に立たされることも、状況に応じてありうるだろう。そこで捕虜となった場合、チャイナ、ロシア、半島人が日本人を正当に扱うであろうか?

或いは侵略を受けた際に、これらの国に占領された地域の日本人が正当に扱われるであろうか?

歴史を見れば答えは自明である。

我が国の防衛は、自分と家族の身の安全と幸福を守ることと同義である。この点から防衛を論じて貰いたいものである。

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