Freedom Betrayed 裏切られた自由(上)の紹介(4)
さて、フランクリン・D・ルーズベルトの望み通りに、ヨーロッパでWWIIが発生しました。次なる彼の望みは、アメリカの参戦です。ルーズベルトはアメリカ国民の戦意を煽るために、ナチス・ドイツの脅威を、現実よりも遥かに誇大に宣伝して、国民の恐怖をあおりました。
ドイツは伝統的に陸軍国で、当時の海軍は弱小でしたから、狭い英仏海峡すら越えられずにいました。英国侵攻すら覚束ないのに、遥か彼方のアメリカ大陸への侵攻作戦など、出来る訳がありません。それにも拘らずルーズベルトは、ナチス・ドイツが中米や南米に侵攻し、アメリカ本土に到達すると、ラジオや講演を通じてまことしやかに宣伝し、国民の恐怖を煽り、ドイツに対する敵意を高めようとしました。しかし第一次世界大戦で払った多大な犠牲を覚えていたアメリカ国民は、そのような扇動には乗りませんでした。事実、真珠湾攻撃の直前まで、アメリカ国民の殆どは、アメリカの参戦に反対していたのです。
参戦できないルーズベルトは、ヨーロッパの戦火を焚き付け続けるために、武器貸与法を制定し、イギリスへの支援に乗り出します。交戦国であるイギリスに、武器・弾薬・資材を供与し、艦船を貸与するのが武器貸与法で、中立に反する行為でした。加えてルーズベルトは、イギリス行きの護送船団をアメリカ海軍の艦船が護衛することにしました。これは立派な戦争行為であり、中立違反です。
ルーズベルトは、議会の議決を経る事をせずに、実質的に戦争を始めていたのでした。当時、開戦の権限は大統領にはなく、アメリカ議会に属していましたが、ルーズベルトは議会の権限を無視したわけです。
イギリス行きの護送船団をアメリカ海軍の艦艇が護衛する訳ですので、護送船団を狙うナチス・ドイツのUボートと戦闘状態に入ることは避けられません。ヒットラーはアメリカの策略を見抜いていましたので、麾下のUボートにはアメリカ海軍艦船への攻撃を禁じていました。しかし、アメリカ海軍艦船の方から、Uボートを攻撃してきますので、この場合には反撃するしかありません。
こういった事態をもって、ルーズベルトはUボートから攻撃を受けているとして、ナチス・ドイツを非難していましたが、ヒットラーはもちろん、アメリカ国民からも相手にされません。一方、護衛任務に携わるアメリカ海軍将兵は、この状況は既に戦争に突入していると理解していたそうです。
ヒットラーへの挑発が上手く働かないのを見たルーズベルトは、日本に挑発の矛先を移します。当時、日本は、アメリカによる経済制裁に苦しめられていました。日本の近衛内閣、続く東條内閣はあくまでもアメリカとの和平を目指していましたが、その努力をあざ笑うかのように、ルーズベルトは経済制裁を強化し、ついには最後通牒である「ハル・ノート」を手交します。この辺りの話は日本では良く知られた話ですが、一点、アメリカ側の重要な情報として、最後通牒が議会の議決を経ずに手交されたという点が、非常に重要です。
開戦の権限は議会が占有していますので、最後通牒を発行するには、当然ながら議会に諮らなければなりません。しかし、「ハル・ノート」は議会に一切知らされていませんでした。つまり、ルーズベルトは、議会にも国民にも知らせずに、日本に対して勝手に宣戦布告に等しい行為を行っていた訳です。
このルーズベルトの裏切りを、開戦後、時を経てから知ったフーバー元大統領と前出のフィッシュ上院議員は、ルーズベルトの裏切りに対して怒りに震えたそうですが、既に戦争は始まっており、国民は「リメンバー・パールハーバー」で一致団結していますから、ルーズベルトの非を鳴らすわけにはいきません。苦渋の思いで、アメリカの若者が必要のない戦いで死んでゆくのを見ていたのでしょう。