Freedom Betrayed 裏切られた自由(上)の紹介(5)

 

    

裏切られた自由(上)裏切られた自由(下)

このルーズベルトの裏切りがアメリカに何を与えたのか?数多い戦死者と負傷者の犠牲と引き換えに、アメリカは何を手にしたのか?この点が、高齢のフーバー元大統領が老いた体を鞭打って、超大作の「裏切られた自由」を執筆し続けた理由でしょう。

 アメリカが得たものは、共産主義ソ連が巨大に拡張し、東アジアに共産主義チャイナが出現し、ソ連やチャイナ周辺の小国が次々と共産化して行く現実でした。アメリカは全体主義に対する戦争が終わったらすぐに、共産主義に対する戦争を始める事になった訳です。

 フーバー元大統領は記していませんが、特に愚策であるのは、アジアにおける共産主義の防波堤であった、大日本帝国を壊滅させ、軍事的にはアメリカのお荷物の平和国家としてしまったことです。このアメリカの大過失に対する告発は、東条英機元首相の極東軍事裁判所に宛てた供述書にも記されています。曰く「日本が背負ってきた防共の責務を、アメリカとイギリスは負わなければならない」と。

 共産主義の浸透に対する防衛策は、人々を豊かにすることです。貧困が蔓延し、不平不満がはびこる状況を共産主義者は利用します。なので、大日本帝国は、地域の安定と発展に尽力しました。例えば、満州国の建国は、張学良の率いる軍閥に支配され、搾取と重税にあえいでいた満州に、安定と発展をもたらすことが目的でした。満州を漢民族が支配した歴史は無く、そもそも清の拠点でしたので、中華民国・国民党政府から文句を言われる筋合いはありませんでした。朝鮮や台湾の発展への投資と支援も同様です。

一方、四七事変当時、チャイナは内戦状態であり、軍閥が割拠する無法地帯で、共産主義が浸透しやすい状況でした。中華民国の支配は、大陸に平和と発展をもたらすほど強力ではなく、加えて腐敗が蔓延していました。そのような、「北斗の拳」状態の大陸において、四七事変で戦った日本軍は、日本人居留民を保護すると同時に、無辜の現地人に対して安定・発展をもたらす存在でした。当時、日本の占領地は安全で、産業が発達したのに対し、国民党、共産党、その他軍閥が支配する大陸の残りは、正反対の状況であったそうです。これを見かねた国民党政府の重鎮であった汪兆銘は、密かに国民党政府の首都であった重慶を抜け出し、日本と協力して汪兆銘政権を日本の占領地に樹立し、日本軍の軍政を引き継ぎました。このように、WWII以前の東アジアは、日本の勢力範囲においては、資本主義的な安定と発展がもたらされていたのです。

日本が多大の犠牲の上に築いた東アジアの安定と発展を、ルーズベルトは完全に粉砕してしまい、共産主義ソ連をアジアに導きました。その結果として、東アジア、東南アジアの多くの国々が共産化しました。そして日本が弱体化した後、日本が背負っていた重い役割を、否応なしにアメリカは背負う事になります。これには、膨大な軍事支出と、更なる米国民の犠牲が必要になりました。

ヨーロッパにおいても状況は悲惨で、ヨーロッパの半分は赤化してしまいました。WWII以前には、自由を謳歌していた国々の多くが、共産主義支配に置かれたわけです。アメリカは一体、何のために戦争したのでしょうか?

このような事態を招来させたのは、ルーズベルトの独断で、米議会に諮らずに日本に突き付けた「ハル・ノート」と呼ばれる最後通牒にあった訳です。フーバー元大統領が与えた「裏切られた自由」というタイトルには、ルーズベルトによるアメリカへの裏切りが如実に示されています。

尚、アメリカが日本に対して最後通牒を突き付け、戦争を引き起こしたという事実は、アメリカの歴史では教えられないそうです。アメリカの歴史観はいまだに釈明史観が主体であり、フランクリン・D・ルーズベルトは英雄だそうですから、アメリカ人に対して「フランクリン・D・ルーズベルトがWWIIを起こしたんだよね?」などと、迂闊に聞かない方が吉と思われますので、ご注意を。

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